【歌詞考察】ぽわぽわP『少女A』と“他者のリスク化”──壊れた関係の中で、それでも信じようとするということ

【歌詞考察】ぽわぽわP『少女A』

―壊れた関係の中で、それでも信じようとするということ

導入──なぜ今、『少女A』なのか?

2020年代以降、ネット文化とともに成熟してきたボカロ楽曲群は、その言葉の不安定さや“個”への執着を、より内省的な形式で表現するようになった。ぽわぽわPによる『少女A』もまた、そうした系譜の中にある。反復される寒さ、遠さ、怖さといった感覚語は、感情が過剰であるがゆえに表現しきれない“距離”そのものを暴露している。なぜ今、この作品を取り上げるのか。それは、本楽曲が「他者のリスク化」という現代的な概念を極めて詩的かつ鋭利に体現しているからだ。

本稿では筆者独自の批評概念である「他者のリスク化」に着目する。これは、他者との関係がかつてのような癒しや喜びの源ではなく、“破綻”や“損傷”の可能性として立ち現れるようになる傾向を指す。言葉が通じない、感情がすれ違う、そして何より「君」が怖い。そんな情緒的不確実性こそが、今の私たちの恋愛や人間関係のリアルなのではないか。

本論──「君」を信じてしまうことの痛み:他者のリスク化という欲望

「寒い寒い寒い寒い寒い」──このフレーズの異様な反復は、物理的な寒さというよりもむしろ感情的な遮断を表している。温もりの欠如、安心できない対人関係、どこかでいつも拒絶されているという不安。ここでいう「寒さ」は、他者に触れられない状態を反復的に強調するメタファーだ。

同様に、「遠い遠い遠い…」「怖い怖い怖い…」と続く語はすべて、関係性の中で感じる“リスク”のバリエーションだ。距離は傷つかないための措置であり、恐怖は期待の裏返しである。そして、「言い寄らないで」「近づかないで」「お願いだから」といった語尾には、一見拒絶に見せかけた願望としての“引き裂かれた信頼”が読み取れる。拒絶の言葉は、他者に接近されることのリスクを避けながらも、それでもなお関係性を切望している矛盾の現れだ。

「朽ちるまでの愛憎を/飲み込む君 簡単に 微笑む君 どうして」──ここに描かれているのは、“感情の受け取り手としての君”があまりに無傷でいるように見えるという苦しみだ。ここでの「君」は、語り手がリスクを背負って表明する言葉を、まるでそれが些細なものかのように受け流す。これは、“他者”がもはや自分の期待どおりに応答してくれない存在になっていることを告げている。

このような他者像は、2010年代後半以降の若者文化に広く見られるものだ。たとえば、SNSでの既読スルー、あるいは返信が即座に来ないことへの不安。それらは他者が「応答してくれる」という前提の崩壊と、それに伴う不安の記号化である。そしてそれゆえに、「合言葉を繰り返すだけ」というラインは、もはや内容よりも繰り返すこと自体が信頼の根拠となってしまう現代的な情緒の姿勢を浮かび上がらせる。

結論──関係の断絶の中で、それでも関係を求めるということ

『少女A』が描くのは、ただの痛みではない。そこには、断絶を知ってなお信じようとする姿勢がある。だからこそ「僕が僕であるために?」という問いかけが、苦しみとともに祈りのように響いてくる。この問いは、他者と関係することがもはや当たり前でなくなった時代において、それでも関係を結び直すにはどうすればいいのか、という現代的課題を投げかけている。

“他者のリスク化”という概念は、私たちが関係性に臨む際の前提を大きく揺るがしている。しかしそのリスクを知りつつも、それでも「言葉を書く 曖昧に」「君だけをさ 信じて」と語る主人公の姿は、壊れた時代における信のかたちとして、深く胸を打つ。

関係はもう安全なものではない。それでも、繰り返しを、言葉を、微笑みを通じて、私たちはなお他者と関係を結ぼうとする。そんな“リスクを引き受ける勇気”が、今、最も切実に求められているのかもしれない。